歩みより。

「お母さんに言っても無理。どうせ理解してもらえないから」と、中2のむすめが言う。


むすめの趣味や部活への意気込み、対人関係のことなど、ワタシにとって理解できないことが多く、「意味わかんない〜」「お母さんそんな考えはないな〜」とばっさり終止符を打ってしまうことが多かった。




ふと…
もしこれがお友達だったらワタシこういう態度を取るだろうか〜自分に興味のない内容に「意味わからない!」とばっさり切るだろうか?
相手の話に勝手に終止符を打つだろうか…。



たぶんしない。





むすめとは最近ずーっと平行線のような微妙な関係だった。



ワタシ、子供に甘えすぎていた…?


むすめとの離れすぎている考えや感覚の違いに対し、近寄ろうと努力したことがあっただろうか?
歩みよろうとしたことはあっただろうか?

むすめを「理解できない子」「私とは分かり合えない子」と勝手に決めつけ、開き直っていなかっただろうか?




少しでも1ミリでもむすめ側に歩みよれば、今までの平行線の距離が縮まり平行線状態が崩れ、交わる時が来るのでは。




平行線状況を崩したい。



交わりたいし、やっぱりわかり合いたい。


理解できないから関わらない排除するという世界ではなく、わかりあいたいと自ら歩みよることを選びたい。

どちらを選んでも良いし正しい答えなんてない。

ただ、今は歩みよりたいとの想いが溢れている。